どう考えても悪食で早死によりも健康食で長生きの方が大きく得をする

人生

世の中には「美味いものを好き勝手に食べて、身体を悪くして早く死んでも良い」なんて考えの人が大勢いる。これは、本人たちが「そっちの方が得だ」と判断してのことだろう。食への指向性、幸福への価値観は自由だが、よくよく考えたら、もっともっと、大きく得をする生き方がある。

美味いものを食べて幸せだという感覚は、単に脳内で幸せに関係するホルモンが分泌されているに過ぎない。つまり、彼ら悪食者は、幸福感の虜なのだ。それは一向に構わない。ただ、この「幸せでありたい」という願いがあるのであれば、僕はジャンクフード三昧よりも健康的な食生活をオススメする。

やってみれば分かるが、健康食も実に美味い。ただ、ジャンクフード・悪食と違って刺激的では無い。しかし、それは幸福かどうかとは関係のないことで、脳内・身体内を健康にしていれば、ジャンクフードにありつけなくてもいつも幸福でいることが出来る。

いつ何時も幸福で健康に長生きできるのと、食べた時にしか幸せを感じることが出来ない病気に短命。この2つを比べた時、「より得をする生き方はどちらか?」といえば、それは考えるまでもなく健康食を食べる前者である。今回は、このことについてよく考え、人生の舵取りをしていただきたい。

ジャンクフードは一時的な快楽を得る手段

ジャンクフードも美味いと思う。しかし、それが生み出す結果はなんであろうか?

美味いという感覚は、脳内で幸せホルモンが分泌されているだけに過ぎず、これがジャンクフードだと副作用が大きすぎる。そして、味覚や食欲が狂い、心身が乱れ、やがて病気になり、早く死ぬ。

それだけではない。病気になれば苦しむ上、結局は命乞いをし、ガンなどで高額医療を受け、税金を無駄遣いする。動物食を毎日のようにすれば、それだけ家畜が消費される。それはメタンガスや家畜の糞尿、森林伐採などで、地球環境に非常に大きな負担をかけている。

ジャンクな悪食は、刹那的な快楽に過ぎない。その作用を全体として評価すれば、正しくこれは立派な麻薬である。

人生の評価を気分でするなら脳を健やかに

もっと良い生き方、幸福な生き方がある。それは言うまでもなく健康的な食習慣だ。なぜなら、健康的な食事をしていれば、いつも幸福な状態で過ごすことが出来るからだ。

「ジャンクフード三昧の人生を送りたい」というのは、人生を気分で評価しているからだろう。気分というのは脳・身体・心の問題だ。具体的には、心身の状態を脳内の幸せホルモンが出た量で評価しているということ。

であるならば、いつも幸福であったらよろしい。脳も、身体も、心も、常に良い状態で過ごすことだ。今食事をしているかどうかは関係がなく、朝から晩まで、毎日が幸福に満ち溢れる生き方がある。

健康的な食生活なら、それが可能になる。心身の全てが健康であれば、それだけで人は幸福でいられる。ベースがすでに幸福であるなら、その上でたまーに食べることを許したジャンクフードがもっと美味しく感じるかもしれない。と言っても、味覚や身体の感覚が変わるため、受け付けなくなるが。

健康食で気分が軽くなりイライラもしない

健康食を続けていたら、具体的にはどう調子が良くなるのか。

脳について言えば、頭が冴え、疲れなくなる。身体のことで言えば、軽くなり、これも疲れなくなる。心については、穏やかになり、イライラしなくなる上、やはり疲れない。その他、随所の様々な不調がなくなることを上げだせば、もうキリが無くなってしまう。

要するに、ただ健康になるのではなく、もう人が変わってしまう。人間関係も良好になるし、人生も変わっていく。食べるものが変われば、市場に対する影響も変わり、世の中が少しずつ良くなっていく。

こうしたことを分かった上で健康食を続ければ、自尊心も高くなり、かつ人に対して偉そうな態度を取らずに済む。自分の送る日々の小さいこと一つ一つに社会的な意味が出てくるし、意味のある人生となるわけだ。

質が低くて短い人生VS質が高くて長い人生

こうして対比した悪食と健康食だが、果たしてどちらの方が幸せだと言えるだろう?

食べた時だけが幸せで他は全部駄目な悪食。そして、いつも幸福ありながら食べたときも幸福で、他にも良いことが連鎖する健康食。これはもう比べようがない。あたり前のことを比べる方が愚かだと言えるかもしれない。

ちなみに、健康的な食事というのは、具体的には一日1〜2食や腹六分目の様な少食、そして玄米菜食やお茶習慣等が挙げられる。こういうことをしていると、栄養が足りてくるし、精神も落ち着くから良い意味で食欲が減ってくる。そして食事回数が減れば細胞がキレイに入れ替わるし、お金も安く済む。

時間とお金が生まれた時、それを使ってどんな人生を送れるだろう?ジャンクフード・悪食は全体的には麻薬である。だから、それはアナタの人生の足枷となっている。それを外した時、どれだけ自由で、安全で、気軽な人生に変わることか。ぜひ、この日々を味わってもらいたいと願うばかりだ。

悪食で気軽なのはその食事という一点のみ

「幸せ」と「幸福」の二語を使い分けたが、幸せと幸福は違う。「福」には自分で積み上げる様なところがあり、例えば自分でコーヒーを淹れて、香りを楽しみながら優雅に過ごすことを「至福の時間」などと言ったりする。

「だから健康的な食生活は面倒だ」というわけではない。結局のところ、ジャンクフード・悪食の生活の方がお金は高くつく。そのために働くことを考えたら、結局は同じ様に時間と労力を費やすことになる。

これを「ジャンクフードにかかるコスト」ではなく、「幸福な人生にかかるコスト」というふうに考えてみて欲しい。悪食の場合、幸せが枯渇する度に購入して食べる必要がある。これは果たして本当に手軽で簡単なことなのだろうか?

コンビニ弁当やスーパーの惣菜、質の低い安酒や紙タバコの肺喫煙、毎日の動物食や添加物。そして風邪を引き、病気になり、病院へ通ったり、早くに介護が必要になったり、それで大勢の人の世話になったり。この生老病死を向き合った時、本当にこれではいけないと思う。良く知り、良く考えることだ。

それでは、ありがとうございました。

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